「アムンゼンとスコット」
社会科の授業で、歴史の教科書で、必ず出てくる2人の名前。
ざっくりいうと、
「共に南極点の到達を目指した2人だったが、周到な準備をして先に南極点に到達し、無事に生還したアムンゼンと、相対的にプアーな装備で極寒に挑み、命を失ったスコット」くらいの紹介しかされていないと思うのです。
私が受けた授業もそうでした。
1.「現地からの情報を得るなどして、きちんと準備をする」
2.「きちんとした準備をしないで行動する」
さあ、どっちが良いでしょう?
そんな授業であったと記憶しています。
ロアルド・アムンゼンってどんな人?
ノルウェーの探検家なのですが、もともとは北極点到達を目指していたのだそうですよ。
ところが、1909年4月にアメリカのロバートピアリーっていう軍人さんで探検家が、先に北極点に到達してしまうんです。
そのとき、アムンゼンはまさに北極点到達に向けての出発直前。
しかし、北極点は先に到達サれてしまったので、急きょ目的地を南極点に変更。
スコットに向けて、「俺も南極点を目指すわ!」と、電報を入れて、南極へと旅立ったのだという。
ロバート・スコットってどんな人?
ロバートスコットは、元イギリス海軍の軍人さんで、南極探検隊長さん。
結構いい感じのところまでは攻め込んでいて、国民の英雄的存在でもあったらしい。
イギリス海軍を退役後、改めて南極点到達を目指した。
南極点到達レース
「俺も行くわ!」と言ったアムンゼンの方が、むしろスコットよりも早く拠点の基地を出発した。
1911年10月19日 アムンゼン隊が出発
1911年10月24日 スコット隊の先発部隊(2台のエンジン付きソリ)が出発
1911年11月 1日 スコット隊後発組み(馬ぞり本隊)が出発
その差、約二週間。
犬ぞり+スキーを活用したアムンゼン隊に対して、スコット隊は動力付きのソリと馬に補助的に犬を持ち込んでいたという。
レース結果
1911年12月14日 アムンゼン隊が南極点に到達。
1912年 1月17日 スコット隊が南極点に到達。
アムンゼン隊に遅れること約1ヶ月。
でも、アムンゼンは男前で、先に到着した南極点では、そこに立てたノルウェーの国旗と共に、スコットへ宛てて、手紙と食料、防寒着を置いていったそうです。
ロバート・スコットに何が起きた!?
スコットは、仕組みがよくわからないのですが、動力ソリなるもの。それと、馬を持ち込んでいます。
でも、それらが機能しない。
結局はそのソリを隊員たちとともに、人力で引きながら南極点を目指すという過酷な旅になったそうなのです。
約3ヶ月かけて、やっとたどり着いた南極点には、ライバル、アムンゼンのノルウェーの国旗。
愕然としたなんてものではなかったでしょう。
そこから帰路につくスコットですが、悪天候に見舞われ、1人、また1人と隊員が命を落としてゆく。
もともと人力で引き続けているソリの重さが身にしみたことでしょう。
隊員全員が帰らぬ人となってしまいます。
スコットが凄いという話
人力で、3ヶ月間ソリを引っ張って行って、「やられたっ!先を越された!」って愕然としてからも同じようにして基地に向けて戻って行くんですよね。極寒の中。
実は、出発地点のお互いの基地の位置も、かなり違っていて、スコットの出発基地はアムンゼンたちの基地よりも、南極点に対してさらに100kmほど遠かったというのです。
出発が遅れたことにより、天候がより厳しくなる季節にもぶつかるなど、もう踏んだり蹴ったりです。
でも、頑張った。
海軍の軍人時代には犬ぞりも使っているらしいんんですよ。
だから、犬ぞりが選択肢になかったわけではないと思うのですけれど、結果、違う方法論をチョイスした。
しかし失敗。
でもミッションは急がなければいけない。
アムンゼンも狙っているらしい。
もう引き返せない……。
考えても見て欲しい。
極寒の中、半年近くもソリなんて引き続けられないですよ。
その半年分の食料やら燃料やらも積んでいるんでしょう?
重いなんてもんじゃないでしょうよ。
大英帝国の威信をかけた国家プロジェクトだったのだとは思いますが、とにかく努力と根性の人でしかないですよね。
ご冥福をお祈り申し上げます。